写真は「休暇村 富士」田貫湖に映る月です。どこにも行けない巣ごもり生活が続いています。昔行った旅行を想いだしながら・・・
インターネットが私たちの生活のインフラの様になったのは、せいぜいここ15年か20年くらいの間です。携帯電話がスマホに変わって「電話」という概念が「情報・通信ツール」という位置づけに変わったと思います。私は仕事の関係もありパソコンの黎明期(れいめいき・歴史のはじまり)から係わってきました。日本の個人用パソコンはNECの98から始まりでしたが、その前の「ボードマイコン」というプリント基板の上にいろいろな部品が載った時からの付き合いでした。
現在は一応ハイスペックモデルを使用していますが、これまで何代のパソコンのお世話になった事でしょう。インターネットと呼ばれる前の「パソコン通信」と言われる時代から利用していました。もちろんSNSなどない時代です。昔の事を懐かしがるだけでは、年寄の与太話にしかならないので、この辺りでこの話題は終わりとします。
今、情報・通信の主流はSNSなどが真っ先に思い浮かびます。昨年のアメリカの大統領選挙でもSNSを駆使した情報合戦の様でした。ここで問題となるのは、すべての情報が決して正しくないという事です。「フェイクニュース」と言われるデマや作為のある情報が紛れていることです。昔は新聞が正しいと信じられていた時代もありました。残念ながら、今は新聞ですら信用できなくなりました。
つまり、自分自身で真意を読み解く力が必要な時代になりました。子どもたちが出会い系サイトなどで、犯罪に巻き込まれるのも、こうした力不足から来ているように思います。情報が多すぎて混乱してしまうことも多いのです。昔は情報の発信元と言えば新聞やテレビ・ラジオなどのメディアが中心でした。しかし、今は個人レベルで情報発信が出来る様になりました。これが情報が氾濫する大きな要因です。しかし、個人が情報発信出来ることは大変すばらしいと思います。
中国や北朝鮮の様に、情報発信どころか閲覧さえできない国もあるのです。現役時代、中国へ出張しホテルでNHKの国際放送を見ていると突然画面が真っ暗になる事がよくありました。中国にとって都合の悪いニュースだと国民が見られない様に当局が遮断するのです。若い人には考えられないと思います。
しかし、個人が発信するという事は、自分のアップした内容に責任が伴うという事を忘れてはいけません。若い人の中(いい歳をして大人も散見されますが)には、このあたりの自覚が乏しい人がいます。学校にスマホ持ち込み禁止というよりも、学校の教育の中で、正しい使い方を教える事も必要だと思います。
子ども達にとって、大人になって社会に出る前に、「情報・通信ツール」の正しい使い方やルール・マナーといったことを教える事が必要でしょう。また、匿名性を悪用して誹謗・中傷といった「ネットいじめ」の温床になる事も避けなければいけません。この辺りを教えるのも大人の仕事ですが、大人の中にも結構小学生レベルの人も見受けられます。当たり前と言えば当たり前のことですが、改めて、使い方ひとつで毒にもクスリにもなるのがネットの世界ではないでしょうか。
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