2017年03月
日曜コラム 便利になり過ぎた国
日曜コラム 長寿社会は、本当に幸福か?
文藝春秋3月号に、こんな特集が掲載されていました。「理想の逝き方を探る ~安楽死は是か非か~」ちょっとショッキングなタイトルですが、避けて通れない問題です。日本は世界一の長寿国です。しかし、すべての高齢者が本当に長寿を望んでいるのでしょうか? ちょうど、佐藤愛子さんの「90歳。何がめでたい」という本が話題になっています。この本は、まだ読んでいませんが、佐藤さんのエッセイはよく読んでいるので、タイトルで想像できます。多分、本日のテーマに共通するところも多いと思います。
医療技術が進んで、昔ならとっくに亡くなっていた病気でも延命が可能となっています。この特集では、回答した多数派は「安楽死や尊厳死」を肯定しています。私も、賛成ですし、そうしたいと思っています。ただ、現在の日本の法律では安楽死は認められておらず、逆にほどこした医者が殺人罪に問われる事例も現実におこっています。しかし、チューブにつながれ、意識もなく、栄養剤の注入だけで生きながらえているのは、本当にその人を尊重していることになるのでしょうか? 尊厳死を肯定している人の大部分の意見です。私も大いに疑問に思います。また、家族を含めて周囲の人に掛ける迷惑も判断の大きな根拠になっており、私も同じ想いです。
軽々しく取り上げるテーマではありませんが、この特集を読んで改めて考えさせられました。しかし、避けては通れないテーマでもあります。きみまろ風に言えば「人の致死率は100%」なのです。亡くなる事を「永眠」とも言います。私も、苦しむことなく、眠る様に逝けたら理想的だと思っています。生きる自由・権利がある様に死ぬことにも自由・権利があっても良いと思います。私ならチューブにつながれて、毎月なん十万円の医療費を使って生きるよりも、そのお金を障がい者福祉や若い人の子育て支援に使って欲しいと思います。せめて、その選択は本人に選ぶ余地を与えて頂きたいと思います。「私抜きで決めないで!!」障がい福祉の世界では有名なセリフです。この問題も同じではないかと思います。本人の意思が最優先で尊重されるべきではないでしょうか。