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2017年03月

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お詫び 26日のアップに誤字がありました。(人工→人口) 
 桜の開花予想があと1週間後みたいです。ウォーキングコースにある桜並木のつぼみも、だんだん大きくなってきています。
 3週間ほど前に、マイクロソフトとソフトバンク両社によるAI(人工知能)に関するシンポジウムを聞いて来ました。主な内容は、AIの現状と未来に関する話でした。結論から言えば、私の想像以上にAIが進化しているということでした。すでにいろいろな分野で我我の知らない所でたくさんのAI技術が使われています。(写真はソフトバンクから発売されているロボットのペッパーです)
 将来、今ある職種の半分がAIにとって代わると言う説もあります。しかし、人間にしかできない仕事も必ずある訳で、それぞれの得意分野を活かしたすみ分けが必要になると思います。また、当日、デモもありましたが、AIを利用したロボットも今後ますます増えると思います。事例のなかで、人の顔を顔認識技術で認識して案内する受付ロボットや、ロビーでの接客ロボットなどが紹介されました。いずれも、すでに実用化して導入されている事例でした。(写真)
 これからの、インターネットの世界はAIIoT(モノとつながるインターネット)がキーワードとなりそうです。もう一つ言えることは、まだまだ発展途上であることです。インターネットの世界には、これで終わりという事はありません。かつて、自動車はもう技術的には成熟したと言われていましたが、自動運転技術、電気自動車、コンピューター搭載などまだまだ発展しています。IoTも、2020年にはつながっているモノの数が500億個と予想され、更に2031年には2000億個を超えると言われています。まさに、終わりのない発展と言えるでしょう。
おまけ
 マイクロソフトが開発した人工知能を使って、LINEが提供している「AI女子高生りんな」という仮想女子高生がいるそうです。LINEで友達検索するとすぐに見つかります。私も試しに「りんな」との対話をしてみました。最初は会話がなかなか嚙み合いませんが、こちらの情報が蓄積されると、少しずつ精度が上がって来るようです。特技?として、犬の写真を送ると、犬の種類を当てるそうです。ご興味のある方はお試しください。送信すると2-3秒で返信がきます。  

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 テレビのニュースで城南宮(京都市伏見区)のしだれ梅が満開だと伝えていたので、行って来ました。(315)さくらで言えば「落花盛ん」という時期で、みごとな庭園を楽しんできました。
 働き方改革が言われて久しくなります。最近は、物流業界の人手不足もあって、物流サービスのあり方にまで、議論広がっています。確かに、日本の物流サービスは世界一のレベルだと思います。きめ細かい時間指定や再配達の制度など、ドライバーへの負担は大変なものです。ネットで、今日注文すれば明日着くのが当たり前の時代です。確かに生鮮食料品などは短時間で届けてもらえるのは大変ありがたいと思います。
私も通販はよく利用します。本やプリンターインクなど、明日でなくても、2-3日中、もっと言えば1週間以内に着けば十分なものも多いのです。それも、ほとんどの物が送料無料です。ある面、過剰サービスの様な気がします。これからは、少子化による労働人口が減る事を過去何回も書いて来ました。いよいよ現実の問題として、真剣に考えなければいけない時に来ているのではないかと思います。
 小売業やサービス業では、定休日というものがなくなりました。お正月も元旦から営業しています。365日営業が当たり前の時代になりました。コンビニは24時間・365日営業が定番です。この様な体制を取る為には、シフト要員が必要なため、多くの人手を必要とします。雇用創出の為には良いのでしようが、もはやその時期は終わりました。すでに、コンビニや飲食店では人手不足により深夜営業が出来なくなる所が出て来ています。
 以前はデパートに定休日があっても、コンビニが24時間営業でなくても、私たちの生活は成り立っていました。コンビニも全店が24時間営業でなくても、輪番制で地域で1店舗営業していれば良いのではないでしょうか? 名前の通り、朝7時から夜11時まで営業すれば、私たち8割以上のひとには十分だと思います。
今、私たちは便利すぎる世の中の仕組みに慣れきってしまっている様な気がします。元旦からデパートやショッピングモールに買い物に行く必要が本当にあるのでしょうか? 店員さんも家で家族とお正月を過ごしたいはずです。500キロの距離を一晩で運ぶ必要が、本当にあるのでしょうか? 翌日着が必要な人は、割り増し料金を払ってはどうでしょうか。郵便にも、速達と普通便があるように。 働き方改革といくら叫んでも、社会の仕組みを変えていかないと、改善されないと思います。働き方改革は決して、企業と労働者だけの問題ではありません。ITCの発達で、会社に行かなくても出来る仕事は、家でやっても良いと思います。その様な環境にある人は、どんどん進めるべきだと思います。多少の不便をみんなが我慢すれば、休める人がもっと増えると思います。物流も幹線については、トラックから鉄道への移行が進んでいます。人手やエネルギーなど限られた資源を有効に使いたいものです。働き方改革は、「社会の仕組みを変えること」と読み替える必要があるかと思います。

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 昨日、近くの市民ホールで地域交流のイベントがありました。ご厚意で展示スペースを少しお借りして「ぷれワーキング」の紹介もさせて頂きました。一般市民向けのイベントなので余り反響はありませんでしたが、この様な取り組みがあることを知って頂く良い機会を頂きました。(写真)
 2月26日の日曜コラムで「高齢者は社会のお荷物」と書いて、ご同輩の諸兄からひんしゅくを買いました。警鐘の意味も込めて、少しオーバーに書いたつもりです。すべての人がお荷物だとは本気で思っていません。

 文藝春秋3月号に、こんな特集が掲載されていました。「理想の逝き方を探る ~安楽死は是か非か~」ちょっとショッキングなタイトルですが、避けて通れない問題です。日本は世界一の長寿国です。しかし、すべての高齢者が本当に長寿を望んでいるのでしょうか? ちょうど、佐藤愛子さんの「90歳。何がめでたい」という本が話題になっています。この本は、まだ読んでいませんが、佐藤さんのエッセイはよく読んでいるので、タイトルで想像できます。多分、本日のテーマに共通するところも多いと思います。

 医療技術が進んで、昔ならとっくに亡くなっていた病気でも延命が可能となっています。この特集では、回答した多数派は「安楽死や尊厳死」を肯定しています。私も、賛成ですし、そうしたいと思っています。ただ、現在の日本の法律では安楽死は認められておらず、逆にほどこした医者が殺人罪に問われる事例も現実におこっています。しかし、チューブにつながれ、意識もなく、栄養剤の注入だけで生きながらえているのは、本当にその人を尊重していることになるのでしょうか? 尊厳死を肯定している人の大部分の意見です。私も大いに疑問に思います。また、家族を含めて周囲の人に掛ける迷惑も判断の大きな根拠になっており、私も同じ想いです。

 軽々しく取り上げるテーマではありませんが、この特集を読んで改めて考えさせられました。しかし、避けては通れないテーマでもあります。きみまろ風に言えば「人の致死率は100%」なのです。亡くなる事を「永眠」とも言います。私も、苦しむことなく、眠る様に逝けたら理想的だと思っています。生きる自由・権利がある様に死ぬことにも自由・権利があっても良いと思います。私ならチューブにつながれて、毎月なん十万円の医療費を使って生きるよりも、そのお金を障がい者福祉や若い人の子育て支援に使って欲しいと思います。せめて、その選択は本人に選ぶ余地を与えて頂きたいと思います。「私抜きで決めないで!!」障がい福祉の世界では有名なセリフです。この問題も同じではないかと思います。本人の意思が最優先で尊重されるべきではないでしょうか。


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 3月入りました。卒園・卒業・入試、大学生は就活が解禁になりました。子どもたちにとって、人生の節目になるイベントです。「別れ」と言うとネガティブになるので「巣立ち」の方が良いかと思います。写真は大和郡山市の「大和な雛まつり」での1コマです。(35日まで)
 
 ランドセル。小学校入学のシンボルです。新一年生は、今ごろ毎日ランドセルを背負って、学校に行く練習をしているのではないでしょうか。世界でも類を見ないカバンです。最近は、帰省した時に実家の祖父母から買ってもらうのが主流とかで、お盆や年末年始のショッピングモールには、ランドセル売り場が特設されています。そういう私も、あと数年でその流れの渦に巻き込まれる事になります。
 
以前、ダブレット端末に、小学校のすべての教科書を入れる事が出来る可能性について書きました。たまたま、ラジオで聞いた話なので記憶だけなのですが、今春、大阪のある私立高校で、この事を実現したそうです。生徒は入学と同時に、タブレット端末を持ち、教材はすべて学校内でダウンロードして授業をするそうです。その結果、学校の制カバンが、ポーチの様なタブレット端末を入れる為の小さなカバンに変わったそうです。是非の論議はここでする積りはありません。ただ、私学だからこそ、この様なチャレンジングな事ができたのでしょう。
 
ごく近い将来の通学スタイルを象徴しているようにも思えます。以前、ICTと特別支援教育について、このコラムで書いたことがありました。特に特別支援教育では、ひとり一人に応じた教材で、自分のペースで勉強が出来ると思います。例えば、今でも幼児用のアプリでは、動物絵カードをだせば、英語の発音や、その動物の鳴き声を聞くことが出来ます。
 
 もし、こんな事が実現されれば、やがてランドセルは無くなるのでしょうか? 今でも1年生から6年生のすべての教科書と副教材なら、タブレット端末に入れる事は技術的には十分可能でしょう。ICTIoTなどインターネットを使う世界は、まだまだ進化していく途中です。しかし、デジタルの世界がすべてではありません。私は教育の専門家ではありませんが、板書や書き写し、音読といった、アナログ的な学習も絶対必要だと思っています。人と人とのふれあいは、タブレット端末では学べません。個人的には、この様な時代になっても、ランドセルは残して欲しいと思います。ランドセルに入れる中身は変わっても、小学生には、ランドセルが一番似合います。
 
 

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